新潟市中央区の関屋大川前地区の事です

新潟で古くから“関屋団九郎”もしくは単に“団九郎”と呼ばれている地区に当店は在ります。
この地区に住んでいる方以外にも、旧新潟市地区の方を中心に、広く使われている名称です。
なお、正式な町名として存在したことは明治期のごく短期間のみで、あくまでも通称として使われております。
読み方はそのまま“だんくろう”ですが、“だんくろ”と呼ばれる事が多いです。

現在の町名で言うと、新潟市中央区の関屋大川前・関新・関屋恵町・関南町・有明台・有明大橋町・弥生町のあたりとなり、地理的には信濃川と関屋分水の分岐点の新潟島側となります。

交通としてはJR越後線の関屋駅があり、新潟交通の路線バスでは、関屋大川前と有明台のバス停が市内均一料金区間の大外枠となっております。
以前は新潟交通の電車線が通っており、東関屋駅と電車の整備工場もありましたが1999年に廃線となり、現在では駅があった面影も無くなってしまいました。

また、新潟の中心部である古町地区までバスで10~15分ほどで、県庁へは信濃川に掛かる橋(千歳大橋・本川大橋)を渡ればすぐです。

団九郎と言う名前の由来には諸説あってハッキリとはしていないのですが、大きく分けて2つの説が有力です。
①人名説
  武士・村のまとめ役的な町人・名主などの政治的中心人物など、人名説の中にもたくさんの説があります。
②地理的特長説
  新潟市西区内野をはじめ、複数個所に団九郎と呼ばれる地域があります。
  各団九郎の共通点はそれぞれの地域の街の入り口にあたる場所という事です。
  (関屋の場合は、新潟町への入り口)

関屋の名前の通り、歴史的に見ると江戸時代ないしそれ以前には堀や川などを利用した水運関連の関と言うか水門の様な番屋があったそうです。
旧新潟市は過去には多くの堀が切られており、関屋地区にもその名残りの町名として、堀割町があります。(関屋堀割町もありますが、関屋地区ではありません)
今の新潟市西区に当たる旧坂井輪村や平島村などからの農産物を中心とした荷物を、通りの名前として残る大堀などの堀を利用して運び、関屋で荷揚げして荷車などに積み替え、ここからは陸路で新潟町の各顧客の元へ配送していたのだそうです。

今ではほぼ完全に宅地化されて畑は無くなってしまいましたが、団九郎を含む関屋地区はカボチャの名産地で、旧新潟市内では女池菜や青山葱と共に関屋南瓜の名前でブランド化された商品として広く流通していました。
今でも新潟市の八百屋さんの店頭では日本カボチャが関屋カボチャの名称で売られている姿を見かける事が出来ます。

また、幕末期には団九郎ではなく北方の関屋地区が主なのですが、新潟港の攻防の為に行われた関屋戊辰戦争で官軍(主に長州藩)と奥羽列藩同盟(主に米沢藩)の激戦地となっています。

関屋恵町・関屋大川前。弥生町・有明大橋町が丁度交わるところにあるJR越後線の踏切の名前は競馬町踏切です。
その名前の通り、競馬場がありました。
新潟国体を期に現在の場所(新潟市北区北山)に移転し、跡地は関屋分水掘削の為の代替地として住宅地となっています。
夏に行われる第二回新潟開催の最終日のメインレース、関屋記念(GⅢ・国際・芝外回り1600m・別定)はこの関屋競馬場を記念して開催されているレースです。

上記の通り現在は住宅街で、マンションなどの建築により新しい住民の方も多くなっておりますが、学校区や町内単位の活動も他の地域よりも活発だそうで、そう言った意味においては町並みなどを見ただけでは分からない、下町的な雰囲気を持ち合わせた地域となっております。
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